つれづれ

やり場のない気持ち。嬉しいような悲しいような気持ち。切なさ。

基本的に私は「出会う人に悪い人はいない」と思って生きてきた。人やものを嫌うなんてもってのほかだと思っていた。

でも,その人がいい人か悪い人かはおいておいて,自分とあわない人は確かにいる。

人を傷つけるのも人

でも,人を救うのも人

この世はとても過酷で この世はとても優しい。

生きづらさや弱さを知っている人は,みんな,優しいね。真剣に生きて目の前のものに対峙してきた人は,強いし,優しいね。

嫌いな人も嫌いなものも許せないものも含めて私はこの世界を愛している。

学校に行きたくないことはない君へ

不登校に対する知識も経験もないのだが,今朝,朝日新聞の「(#withyou~きみとともに~)学校に行きたくない君へ」という見出しを読んで,「学校に行きたくないことはない君の気持ちの行き場がないんじゃないだろうか」と思った。

「学校に行きたくない」という児童生徒に対するフォローはもちろん必要である。ただ,さまざま感じて考えて「学校に行きたくないことはない」と思っている児童生徒もいる。「学校に行きたくないことはない」と思っている児童生徒が全然悩まずに学校に適応しているというわけはないだろう。その子たちが「僕(私)は,不登校にはなっていないけれど,それなりにいろいろ悩んでるんだよわかってよ」と思っているかもしれない,ということにどうか思いを馳せてほしいと思った。

子どもの自死,問題行為,起こった後で「まさかあの子がと思いました」というインタビューをよく聞くので…。

headlines.yahoo.co.jpこれなんか,まさにそうじゃないかなとも思うのですが。学校でつらいときは興味を示してくれなかったのに,いざ学校に行かないという行動に出たら,周りは大騒ぎ。「不登校の子」=「かわいそう,助けてあげなきゃ」になる。

私は特に学校に行きたいとも行きたくないとも思っていなかったタイプでしたが(時代が時代でかなりおおらかだったし,真面目な性格だったので“学校には行くもの・行かなければいけないもの”と思っていた),「普通の人」「普通の子ども」にもいろいろあり,そもそも普通ってなんじゃい?というところから疑問をもっているので,あえて「不登校の子ども」「問題行為の多い子ども」というレッテル貼りをせずに,ひとりひとり,と思えば,どうなんだろう,と思った。

朝日新聞の「きみとともに」の「きみ」が,全部の子ども,人間,児童生徒を含むものでありますように

買い物でのふれあい

人との関わりによっぽど飢えているのか,出かけた時に人を見るとなんとなく嬉しい。買い物でレジの人が笑顔だとなお嬉しい。

買い物と言えば,いかに財布の中の小銭を減らすかということを考えているのだが,あるところできれいにキリがいいように払うと,次のところで1円足りないとかあと10円あればなぁということがあって,結果財布の中がじゃらじゃらになったりする(クレジットカードやプリペイドカードはあまり使いたくない派で,クレジットカードはメルカリの発送にしか使わないし,スーパーのプリペイドカードも1枚しかもっていない)

今日,買い物したら,お会計のときに何か小銭が落ちたような気がしたが床を見ても見当たらなかった。財布を見たら,あぁ1円あればなぁという状況だったけれど,ないので,しかたなく59円お釣りをもらったら,カゴの中に1円落ちていたのだが,会計が終わったので時すでに遅し。

早く見つかったら良かったんですけどね~とレジの人と笑いあった。

こういうのなれなれしくて嫌われるんだろうか…。

偏差値よりも経験値,プラスアルファ

www.asahi.com「ビリギャル」は読んだことがないし,ビリギャルさんの本名が「小林さやかさん」であることもこの記事で初めて知ったくらいなのだけれど,最後の段落のこの文章にはぐっときた

「偏差値よりも経験値。社会に出たら、偏差値なんて役に立たない。でも色んなことを経験している人は、誰かを勇気づけられるし、自分の世界の広げ方を知っている。(中略)死ぬ気でなにかを頑張ることを知っている人は、これからも何にでも挑戦できるだろうから」

偏差値の算出のしかたを大学の授業で教えると,割とみな食いつきがいいのだが,それだけそれまで“偏差値”というものに左右されてきたのだろうなと思う。でも小林さんのいうとおり,社会に出たら偏差値は関係ないし,偏差値いくつの高校・大学出ましたというのは…意味がいまだにあるのかな…就職活動とか…とにかく人間性には関係ない。

いろんなことを経験している人は誰かを勇気づけられるし,自分の世界の広げ方を知っているというのは本当に同意で,付け加えると,ただ何も考えずにぼーっと経験しましたじゃなくて,そこで心が動いた,動かされた,いっぱい笑った泣いた悩んだ考えたということが,その人を強くするのだと思う。海外旅行行ったらいいよ~留学したらいいよ~インターンシップ行ったらいいよ~で単に行っても,何も考えずに「行ってきました。おしまい」では,“行っただけ”

そこでただ“経験しました。おしまい”になる人と,“心が動いた。何かを得た”になる人の違いはあるんだろうか。うーん。

だからやみくもに「なんでも経験しなさい! 経験しましょう! 子どもを水族館に連れて行った! 山に連れて行った! 海に連れて行った! 動物園にも連れて行った! 旅行させた! 博物館に連れて行った!」というのは,ひとりの母親としては何か違うような気がするのだよね…。家の中ばかりで過ごしている子どもには「経験値がない」とも思わないし。

よくわからないけれど,私は自分の子どもには,もちろん「いろんなことを経験して,誰かを勇気づけられるし,自分の世界の広げ方を知っている人」になってほしいけれど,そのために何かをおぜん立てて経験させてあげようとはあまり思っていなくて,彼は彼自身の世界の中でいろいろ経験して自分で悩み考えられる人になってほしいなとは,思う。

あれ?子育て話に帰着するつもりはなかったんだけど。

書評「ふたり」

 2014年度の課題図書だったらしいが,この本で「学校の先生に気に入られるような読書感想文」を書くのはかなり難しいのではないかとも思う。

ふたり

ふたり

 

 Amazonになんとなくの内容紹介が書いてあるが,小学生の恋心の話でもない,いじめの話でもない,「本が大好きな二人の淡い恋と友情の物語」とは書いてあるけれど,それだけでもない,という作品だった。

素敵な本だったのは確か。小学6年生という時期の,主人公ふたりだけでなく(ほんとに「ふたり」の話なので「ふたり」というタイトルはどんぴしゃだと思う),周りのクラスメートのこころの揺れ,行動の奥にあるこころ,6年生ならではだと思った。

小学校からの卒業,すなわち子どもからの卒業,でも大人でもない,大人と対等ではなくまだまだ親にいろいろ言われたり親にしたがったり,その中で,ふたりだけの世界を築き,すすんでいく様子がとてもよかったです

このふたりの今後が気になるけれども,きっとそれぞれの世界でのびやかに大人に向かって進んでいくに違いないと思います

 

楽しい時間が終わるとき

楽しい時間が終わるときは,いつも,せつない。友達と会っていたけれどお別れの時間が近づいてきたとき,大好きなオーケストラや吹奏楽団,合唱団の演奏会が終わってしまう時,意義深い研究会が閉会を迎える時。

「終わるとき」は,たいてい,せつない。それが好きなものであったり,楽しかったりすればするほど。

終わって戻る場は,日常。「淡々とした日常こそが幸せなのだ」とどこかに書いたような気がするようなしないようなだが,日常はやはりいろいろしんどいこともある。家事,育児,仕事のルーティンワーク。何の楽しみもなく自動的にこなすものごと(育児はいろいろ発見があって楽しいけれど)

ましてや,戻っていく日常が自分にとって過酷なつらいものであるならば,余計にせつなく,やるせない気持ちになる。その場合,日常は“戦い”でありうるからだ。何と戦うかは場合によって異なると思うが。

涙が出てくる。

恐怖に駆られる。

やるせない気持ちになる。

力が抜けて,もうどうでもいいという気になる。

自分は無力だという気になる。

しかし,私には「書くこと」がある。「書くこと」が私を支えてくれている。

それから,楽しかった時間の記憶も,こころの中できっと私の支えになっている。

大丈夫,なんとかなるよ。

だって私達,しあわせになるために生まれてきた。しあわせのかたちはきっと人それぞれ。Aという人にとってしあわせであることが,Bという人にとってしあわせでなかったりする。Cという人にとって何の価値もないつまらないことが,Dという人にとってはかけがえのないものだったりする。

そうやって,やるせない気持ちや恐怖と戦いながら生きている人は,少なくないと思いたい。私が,そうだから。

マジカルBoy マジカルHeart


キテレツ大百科ed マジカルBoy マジカルHeart

キテレツ大百科」は見ていなかったのに,なぜこの曲を知っているのか謎なのだが,小学生の時にかなり好きな曲でした。ちなみに,ドラえもんはもちろん,パーマン,忍者ハットリ君,マジカル魔美,プロゴルファー猿オバケのQ太郎,ひととおり見てました。

メロディーラインのPOPな感じもいいし,かわいい声でかわいい切ない恋心が表現されている。

しかしコメント欄にあった「「ねぇねぇ今度の日曜日…君の家に押しかけ、天井裏とか押入れ、チェック入れていい?」 家宅捜索かよ‼︎」というコメントにはウケた。

小学生の時って,好きな男子の何もかもが知りたかったな~。あ,いや,ストーカーではなくて,きょうだい構成とか,家はどこだとか,何が得意とか,教室でどんな行動してるとか。好きな男子の弟さん,妹さんを偶然見かけて,ふふふと嬉しかったことがあります…あやしい小学生女子だったかもしれん…。

なので「君の家に押しかけ 天井裏とか押入れ チェック入れていい?」という気持ちはわかる。わかるが,それだったら君の部屋が見たいぞ(藤子不二雄氏の作品なので天井裏とかあるのかもしれないが,普通自分の家はおろか他人の家の天井裏を見ようとはあまり思わない)