学校に行きたくないことはない君へ

不登校に対する知識も経験もないのだが,今朝,朝日新聞の「(#withyou~きみとともに~)学校に行きたくない君へ」という見出しを読んで,「学校に行きたくないことはない君の気持ちの行き場がないんじゃないだろうか」と思った。

「学校に行きたくない」という児童生徒に対するフォローはもちろん必要である。ただ,さまざま感じて考えて「学校に行きたくないことはない」と思っている児童生徒もいる。「学校に行きたくないことはない」と思っている児童生徒が全然悩まずに学校に適応しているというわけはないだろう。その子たちが「僕(私)は,不登校にはなっていないけれど,それなりにいろいろ悩んでるんだよわかってよ」と思っているかもしれない,ということにどうか思いを馳せてほしいと思った。

子どもの自死,問題行為,起こった後で「まさかあの子がと思いました」というインタビューをよく聞くので…。

headlines.yahoo.co.jpこれなんか,まさにそうじゃないかなとも思うのですが。学校でつらいときは興味を示してくれなかったのに,いざ学校に行かないという行動に出たら,周りは大騒ぎ。「不登校の子」=「かわいそう,助けてあげなきゃ」になる。

私は特に学校に行きたいとも行きたくないとも思っていなかったタイプでしたが(時代が時代でかなりおおらかだったし,真面目な性格だったので“学校には行くもの・行かなければいけないもの”と思っていた),「普通の人」「普通の子ども」にもいろいろあり,そもそも普通ってなんじゃい?というところから疑問をもっているので,あえて「不登校の子ども」「問題行為の多い子ども」というレッテル貼りをせずに,ひとりひとり,と思えば,どうなんだろう,と思った。

朝日新聞の「きみとともに」の「きみ」が,全部の子ども,人間,児童生徒を含むものでありますように