生きづらい人とそうでない人

あまり大きな声で言うことでもないかもしれないが,私は生きていくうえでけっこう生きづらさを抱えている。で,生きづらさを抱えた人と話すこともよくある。みんな,生きづらさを抱えているぶん,優しい。悩み傷つき,もがき苦しみ,苦闘し,生きづらさを抱えたことのある人は優しいなと思う。

ポジティブ心理学なんぞを研究しているから,ポジティブにポジティブに生きてきて悩みなんかないだろうと思われるかもしれないが,実際は悲観的でいつも不安で生きづらくてしんどくて,その”つらさ”の中に光を見出したくて,ポジティブ心理学に興味をもちいまも研究を続けているというところはある。

というだけに,今の世の中で生きづらさを感じていない人ってどんな人なんだろうと思う。

私は就職活動をせずにそのまま大学院に居座って大学の非常勤講師を渡り歩いて生きてきたので「職場に嫌な人がいる(いた)」という経験はそんなにないのだが(まぁ,性善説に基づいて「基本的に人はいい人だ」と思いながら生きているので,「この人嫌な人だ」「この人は自分にとって良くない影響を及ぼす人だ」「この人むかつく」という閾値が相対的に低いかもしれない。

生きづらくない,悩んだことがないという人はどんな人なのか,純粋に疑問である。

以前,生きづらい人たちと話した時に,生きづらいねという話になって,「この世の中で稼げる人とか使える人とかそういう人は,上司からのおぼえめでたく,さっさっさと要領よくやって出世ルートにのって,上司に取り入る術もうまいんだろうね」という話になり,誰かが「そういう人になりたいか!?」と叫んだところ,全員首を横に振ったというエピソードがある。

同様に,普通って何,という疑問もある。「普通はこうする」「普通はこうでしょう」って,それ誰基準?みたいな。ひとりひとり見たらみんな特別なのに「普通」でひとくくりにされちゃうんだなと。

少年犯罪を犯した若者に学校側「普通の生徒でした」。いや絶対,どこかで何かあったはずだよ…。