ステレオタイプと”研究者も生活者”

心理学の研究者がいうのもなんだが,ステレオタイプとはなんだろうと考えることがある。

kotobank.jpものの見方・態度や文章などが型にはまって固定的であること。紋切り型。

いや,まぁ,辞書的にはそうなのだが。

「男は仕事,女は家庭」というステレオタイプもしんどいし,かといって,家事も育児も積極的にできるししたいという夫をもった女性としては「男は仕事,女は家庭」に過度に反発して「いや,僕だって家事も育児もできる」という男性もしんどい(家事全般苦手な私ですが,一応ひととおりはできます!)。そして「研究ができる(お勉強ができる)人は家事ができない・身の回りがきちんとしていない」というステレオタイプもどうもありそうで,これはきっついなーと思う。いや,一応ひととおりはできますってば。家事のプロから見れば「何やってんの(フッ)」というレベルだとは思いますが。

ここで「自分は家事できないわけじゃないんだ論」を展開しても仕方ないのですが,家事というのはもともと「家」の「事」なので,それぞれの家で違った家事のあり方があってもいいんじゃないかとは思うわけです。

そして研究者は身の回りがきちんとしていないというステレオタイプがありそうな気がする(気がするだけ)のですが,研究者の中にもきっちりしている人がいるし,ただ集中して作業することが多いので参考書や文献を手の届くところに次々山にする人がいる(それ私)というだけで,特に子どもができてからは常に時間と勝負でやっています。研究のやり方も変わりました(私の場合は,産前よりも業績は落ちましたがそれは私の個人的な事情で,産前産後も変わらず業績を積み上げておられる女性の方々もいらっしゃいます)。

研究者の話ではないが,「いつもポケットにショパン」の以下のくだりは大好き(文庫版3巻,pp.224~227)。

(公開レッスン中の風景)

須江麻子(主人公)の母(ピアニスト)「こんなに楽しい曲なのにそんなに乱暴にたたいたらケンカしてるみたいよ。ここはキャベツの千切りでも思い出して軽快に楽しく話してごらんなさい キャベツのせんぎりやったことあるでしょう? 家庭科の時間でやらない?」(中略)

公開レッスンを受けた子の母「先生,今日はありがとうございました。でも先生,キャベツのせんぎりはございませんわよ。さとみちゃんにはせんぎりどころか包丁をもたすことすらさせませんわ。指にケガでもしては大変ですもの」

須江麻子の母「それは困りますね 体で覚えた感覚というのは,ことばではいくつあっても伝えられないことがあります。ですけど音にならじゅうぶんすぎるほど素直に伝わりますわ。皆とわかり合うためには皆と同じ生活が必要です。ピアノの音にだけでなく,まわりの音にも耳をすませてみることがどんなに楽しいか。少しでも音楽を愛する者なら,まわりの音を音楽にかえるなんてたやすいことですわ」

公開レッスンを受けた子の母「先生はそんなおそろしいこと人の子には平気でおっしゃる 先生のお子さんにはそんなことさせられますか?」

須江麻子の母「麻子はシチューが得意です」

須江麻子心の声 ”自慢気に答えたおかあさんの顔 ええ 私 包丁使います 針仕事もします 重い荷物も運べば 殴り合いもする わたしの手は確かに生活してるわ はっきり知った お母さんはわたしに生活させるためにわたしをつきはなした わたしをつつむ みえないお母さんの手のあたたかさが すっかり冷えきっていたわたしの体に充電される”

 

いつもポケットにショパン (3) (集英社文庫―コミック版)

いつもポケットにショパン (3) (集英社文庫―コミック版)

 

 ピアニストも生活してるけど研究者も生活している。生活する人の視点を忘れずに研究したい。

もっと言えば家事完璧にしなくてもほこりだらけでも洗濯たまってても流しにゴキブリ這ってても,人間,食べてりゃ大丈夫。外注サービスもありまーす。