4歳7か月の息子

息子のことを書く。

この前,産んだばかりだと思っていたが,気が付くと4歳7か月,保育所の年中組になっていた。そして,自分でできることもだんだんと増え,そして自分でやりたがり,しかしやりたくないことはやりたがらず,逃走。「まだ小さいんだから」と思ってしじゅうついて回っていたのが,今は少々目を離しても大丈夫と思えるようになった。目を離したらとんでもないいたずらをしているのが「うへー」という感じだが。

 

大学院時代の指導教員は発達心理学教育心理学がご専門で,発達心理学の研究に触れることは多かったし,自分自身非常勤講師の仕事で発達心理学の授業を担当した経験もあるが,心理学者だからといって上手な子育てができるとは限らない(している人もいるかもしれないが)。少なくとも私は我が子を育てる上で心理学的な知見を全く用いていないし,実は初語も何かわからなかった。気が付いたら立っていた。気が付いたら歩けるようになっていた。気が付いたら走れるようになっていた。

 

成長するにつれ,手はかからなくなったが,心をかけなければならない場面が増えた。活動量が増えた分,予想もつかないことをすることがある。

私は「いい母であらねばならない」というプレッシャーがあって,もっと言えば「いい妻,いい人,いい研究者であらねばならない」とも思っていて,それがすごくしんどいのだが,恩師に「子ども自身が育つ力をもっている」との言葉をいただき,なるほどと思うと同時に,子ども自身の育つ力を大事にしようと思った。

一緒に居る時間の長さや,してやれることで「いい母」であるかどうか決まるのではなくて,むしろ私はこういう私でしかいられないのだから,こういう子育てしかできないし,むしろ「してやらずに手を出さずに見守る」ことが息子のためだと思うことがわかった。

私自身は年中組から幼稚園に入ったので,年中組からの記憶は忘れていることもあるがところどころ覚えていて周りのこともわかっていて,つまりそれは,現在の息子もしっかり自分の気持ちを持っているし,過去のことは記憶に残っているし,周りのこともわかっているということだ。と考えると,この子のこの気持ちを大事にしたうえで,付き合いたいなと思う。

あと,細かい場面で親として具体的にどうするかどう振る舞うか(例えば果物屋さんで売り物のスイカを握りしめて売り物にならなくしたとき親としてどうするか←実話です)は,そんなものにいちいちノウハウはないし,何が正しい対応で何が間違いかも一概に言えないが,親として1本「これは譲れない」というすじがあったら,そのすじがたとえ正しかろうが間違いであろうが別にいいのではないかと思う。

というか,子育てに正しいも間違いもないと思う。4歳半の子どもしか育てていないのに偉そうに言うなと思われそうだが,たとえ不登校やいじめやひきこもりなどの,世間でいうところの「問題行動」を起こしたとしても,いわゆる「ハイレベル」な学校にいけなかったとしても,それで「子育て間違った」ではないと思う。逆にいわゆる「問題行動」を起こさなかった,「ハイレベル」な学校に行ったとしてもそれで「子育て正しかった」でないと思う。

私のすじは,「自分の考えをしっかりもって,自分の思いを大事にし,自分から行動する人になってほしい」で,その次に「相手もその人なりにその人の考えをもってその人の思いを大事にしているということをわかる人になってほしい」かな,と思う。

その結果であれば,中学卒で相撲部屋に入ると言っても,よく話し合って思いを受け止めようと思う。

というか,私は息子をこういうふうにしたいとかこういうふうに育てたいとかいう気持ちはあまりなくて,生きていてくれたらそれで十分。小学校になったら,中学校になったら,ということを考えるより先に,そこまでまずは生かす,死なせないということしか考えていないかもしれない。