正しい生き方は,ない

自分自身が揺れて揺れて大揺れで,という状態であるのと,あと特に「研究者」「大学非常勤教員」「妻」「5歳男児の母親」という肩書を持っているからかもしれないけれど(いや,複数の肩書をもつのはなにも私に限ったことではないけれど)

正しい生き方,こうあるべきという生き方はないのではないか,と思う。

巷には,生き方指南書,育児指南書,「こうすればラクに生きられる!」「~~したら生きやすくなりました!」「子育てでは~~しなさい」「~~の育児」という本があふれていて,ネットにもそういう記事はあふれていて,読んでしまうと,あぁ私の生き方間違ってるのかなぁって自信がなくなる。もっとこうした方が私は成長できる! もっとこうしたら子どもはよくなる! がんばりましょう!

…それ,疲れませんか? やめませんか? ねぇ私。そしてもしかしたら私に似ているみなさん(似ているけど違う人なので,私に似ているみなさんのことは知りませんが)。

いろいろな人が私にいろいろなことを言います。親,きょうだい,親族,友達から,自分に着いて「あなたはこうだね」「あなたはもっとこうしたらいいんじゃない」と言います。

それは,私にとってとてもありがたいことです。なぜなら,私のことを思って,いろいろとアドバイスをしてくれて,こうしたらいいのではないか,ああしたらいいのではないかと言ってくれるからです。ありがとう,みなさん。心を寄せてくれて。

でも,最終的に決めるのは私で。私らしさで私の方法を決める。それは私の責任において。

本に書かれていること,他者が言ってくれたこと,みんな,間違いではないと思う。その人その人の経験から言ってくれたことだから。でも,本も他者も,私のことを全部知ってるわけじゃない(そもそも自分が自分のことを知らないんだから!)。間違いではないけれど,それが自分にぴったりフィットするかどうかは自分が決めるもの。

自分のペース,自分の感じ方,自分の「~したい」。

いま,私は私の感じ方,私の「~したい」が,ちょっとわかりにくくなっています。でも「なんかいらいらするな,あーっもう! 私,あなたのために…してるのにっ! ええいむかつくぅ!」ていう気持ちや「~~できるかな,~までに…しなくちゃ(緊張)」という感覚が出て来たら,たぶん危険信号。

私は,他の人には嫌われたくなくて,いい人ねすごいねって評価をもらいたかった。そりゃ,人間だから嫌われたくないよねぇ誰しも?? いい人ねすごいねって言われたら嬉しいよねみんな??と思っていた。んで,そういう生き方をしてきた。

まぁ,嫌われたくはない。いまも。

でもそれで,自分が生きにくくなって,他者のために滅私奉公してるならそれは。

何かをして,相手がこたえてくれなくて「あなたのために~したのに!! 期待裏切りやがって!」と思ったとしたら,それ完全にひとりよがりですから。何かをしたのは私,頼まれもしないのにやったのは私,それで「あなたのためにやったのに期待にこたえてくれない」とか言われたら,相手も気ぃ悪いですわな。

というわけで,正しい生き方をめざすのはやめました。誰かのために生きるのもやめましょう。私は私のために生きましょう。

息子については産んだ責任があるので養育はしますが,別の人間なので,必要以上に介入するのはやめましょう。自分のことは自分でする。今は5歳なのでできないことが多いけれど,入院生活でだいぶ自分のことが自分でできるようになったことがわかったので,できることは,させる。

自分が自分の道を生きようとするときに,わからないときは,感覚をとぎすませて,それでもわからなかったら,結局自分の「好き」が芯になってくると思う。だから私は私の「好き」を大事にするし,息子にも「好き」なもの,ことを1本つくってほしい。

自分の子育てうまくいきました~,自分はこんな生き方して成功しましたどやすごいでしょ~じゃなくていい。

アホでもいいから死ななきゃいい。命だけは大事にする。

そう考えると,問題のない人なんていないんじゃない? 問題のない親子関係なんてないんじゃない? 普通って何? 「一般的にはこう」の「一般」って何? 「世間体が悪いから」の「世間体」って何? という気がしてくるのです。

私に足りなかったのはたぶん開き直り。あほでいいのです。評価されなくていいのです。どーんといきましょ。

この文章を読んで私のことを嫌いになった人がいたら,それはそれで仕方ない(デモデモ,チョットハ,キライニナラレルノ コワイナ。ワタシヲスキニナッテクレルトイイナ なんてなーーーーーーーー!)