自分で自分の気持ちを~「きみのためには誰も泣かない」

 

 登場人物が入り乱れて,「それぞれの登場人物から見たこの人」が交代交代に書かれるので,名前と特徴が整理できないのだが(読んだスピードが速かったからかも),ということで物語としては印象深くは…

あとがきに印象深い文章があったので引用 p.267,268

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自分の感情と向き合うのは一人の人間として生きる時にとても大事なことだと思っています。だけど,周囲の人との関係を大事にしすぎるあまり,相手が不快感を持つような感情をあらわさないように先回りして,幼いうちからまるで心を封印したかのように生活している人がいることを,わたしはとても心配しています。悲しみや怒りを感じている自分の心に気づかなかったら,それはなかったことになるのでしょうか。自分の心の声を聴くのを自分でやめて無視を決め込んでしまったら,だれが自分のことをわかってやれるでしょうか。どうして受け止めてくれなかったの?と知らず知らずに不満の塊が心の底にたまって,ますます硬直した重たい心になっていきそうです。重い荷物を抱えていたら,友達や大切な人が困っているときに手を貸す余裕がなくなってしまいそう。

 もちろん,そのときの状況や役割によっては自分を抑えて我慢しなくてはならないことがわたしたちの生活にはたくさんあります。「我慢している」と知っておくことこそが,大事だと思うのです。そして我慢できた自分に,偉いねって声を掛けてあげたらいいんです。そういう時間を持っていますか? 自分を大切にするっていうのは,「理想的な自分に近づきたいと思ってもそうなれない自分」のことも自分の一部として大切にできることだと思うのです。自分の心の動きを感じ取れることは,だれかの心を思いやる力にも他人のために心を動かせるやさしさにもつながるんじゃないのかな。人を大切にできる人は,自分のこともちょうどよく大切にできる人なんだろうな。悲しかったりさみしかったり苦しかったりしたときに,だれかが代わりに泣いてナカッタコトにしてくれるわけではないのですから。そんな意味を込めて,逆説的ではありますが『きみのためにはだれも泣かない』というタイトルをつけました。

 だれかの行動がだれかに少しの影響を与え,そのことでまたほかのだれかの気持ちが動いていく。そんな淡い関わり方に憧れています。それぞれに事情があり,良くも悪くも変わった部分があり。,わかりあえない摩擦もあるけれど,知らず知らずに尊重しあっていて。ほんわかした交流があって,この教室にいていいんだな,この学校にはいい子がいるな,って言葉で確認しなくてもなんとなく感じていられるような,そういうクラスに…いたかったなぁ

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