偏差値よりも経験値,プラスアルファ

www.asahi.com「ビリギャル」は読んだことがないし,ビリギャルさんの本名が「小林さやかさん」であることもこの記事で初めて知ったくらいなのだけれど,最後の段落のこの文章にはぐっときた

「偏差値よりも経験値。社会に出たら、偏差値なんて役に立たない。でも色んなことを経験している人は、誰かを勇気づけられるし、自分の世界の広げ方を知っている。(中略)死ぬ気でなにかを頑張ることを知っている人は、これからも何にでも挑戦できるだろうから」

偏差値の算出のしかたを大学の授業で教えると,割とみな食いつきがいいのだが,それだけそれまで“偏差値”というものに左右されてきたのだろうなと思う。でも小林さんのいうとおり,社会に出たら偏差値は関係ないし,偏差値いくつの高校・大学出ましたというのは…意味がいまだにあるのかな…就職活動とか…とにかく人間性には関係ない。

いろんなことを経験している人は誰かを勇気づけられるし,自分の世界の広げ方を知っているというのは本当に同意で,付け加えると,ただ何も考えずにぼーっと経験しましたじゃなくて,そこで心が動いた,動かされた,いっぱい笑った泣いた悩んだ考えたということが,その人を強くするのだと思う。海外旅行行ったらいいよ~留学したらいいよ~インターンシップ行ったらいいよ~で単に行っても,何も考えずに「行ってきました。おしまい」では,“行っただけ”

そこでただ“経験しました。おしまい”になる人と,“心が動いた。何かを得た”になる人の違いはあるんだろうか。うーん。

だからやみくもに「なんでも経験しなさい! 経験しましょう! 子どもを水族館に連れて行った! 山に連れて行った! 海に連れて行った! 動物園にも連れて行った! 旅行させた! 博物館に連れて行った!」というのは,ひとりの母親としては何か違うような気がするのだよね…。家の中ばかりで過ごしている子どもには「経験値がない」とも思わないし。

よくわからないけれど,私は自分の子どもには,もちろん「いろんなことを経験して,誰かを勇気づけられるし,自分の世界の広げ方を知っている人」になってほしいけれど,そのために何かをおぜん立てて経験させてあげようとはあまり思っていなくて,彼は彼自身の世界の中でいろいろ経験して自分で悩み考えられる人になってほしいなとは,思う。

あれ?子育て話に帰着するつもりはなかったんだけど。