「みんな頑張ってるんだから」「みんなしんどいんだから」のこわさ

あぁ,疲れた,もう嫌だ,しんどいよう,もう無理だ,誰か助けて,泣きたいよ,と愚痴った時に,「みんな頑張ってるんだから,あなたももう少し頑張りなさい」「みんなしんどいんだから」と言われることがたまにある。

それで「あぁ,私だけじゃないんだ。みんな,誰しもがしんどい思いをしてそれでも生きているんだ」と勇気づけられる人もたぶんいると思う。

ただ,私はそうではなくて「みんな頑張ってるんだから」「みんなしんどいんだから」の,みんなって誰だと思ってしまうのだ。そして,確かにみんな頑張ってるし,みんなしんどいのかもしれないけれど,私は私で,私にしかないしんどさがあるんだから,お願いだから「みんなしんどいんだからあなたも頑張りなさい」みたいなことは言わないでほしい,と思うのだ。

相当ひねくれているのかもしれない,私。

でも「みんな」とか「普通は」という言葉が出てきたときは,基本的に要注意だと思うのだ。みんなって誰かはっきりしない。一般的なというのもはっきりしない。「普通」はもっとわからない。何が普通なのか。

みんなは普通はやってることだから,あなたもやりなさいよ。

一般的にみんなそうだから,あなたもやりなさいよ。

その言葉に,どれほどの暴力性が秘められているのかと思う。

みんなはそうかもしれないけど,私は私のやり方がある。私は私の思うとおりにしたい。私は私で私の気持ちをもっているし,みんなとか普通とかいう言葉で踏みつぶされたくない