ご縁

ごえんはごえんでもごえんちがいのごえん。

そもそも 縁 を調べてみると 以下のようである。

kotobank.jpこのうち,「2 そのようになるめぐりあわせ。3 関係を作るきっかけ。」の美化語が「ご縁」「御縁」だそうだ。

仏教用語としてとらえるとなかなか深いようだ。 

高校生からの仏教入門

高校生からの仏教入門

 

 第1章第2節第3項p.76に「縁起」という節がある。

(引用はじめ)「因」とは直接原因,「縁」とは間接原因のことです。例えば花がここに咲いているとします。これを「果(結果)」とすると,その種が「因」です。ただし,種があるだけでは花は咲きません。水・土・光などさまざまな条件がそろわなければ,咲きません。これらが「縁」です。花は,さまざまな因縁によって,はじめてきれいな花を咲かせているのです。

 また,種を「果」とすると,花(もしくは果実)が「因」となり,さまざまな環境的条件などが「縁」となります。

 このように,すべてのものは因縁によって成り立っているのですが,「因」「縁」「果」は,固定的なものではなく,それぞれの関係を表す言葉だということに注意が必要です。

 すべてのものは,お互いに因となり縁となって,繋がり合っているのです。このようなあり方を「縁起」と言うのです。つまり「縁起」とは,「互いにもちつもたれつの関係にあること」と言ってもいいでしょう。(引用終わり)

理解できたようなできていないような感じだが,ご縁というのは,つながりあい,めぐりあわせ,関係…のことだろうか。

子どもの頃,知らない街の知らない家を見て,この家には自分の知らない人が住んでいるんだなぁと思った覚えがある。大学生の頃,満員電車に乗っていて,この車両に乗っている人はみんな私の知らない人なんだなと思ったことがある。友達や先輩や後輩とやりとりしていて,ひょっとしたらこの人と私は知り合いじゃなかったかもしれないと思うことがある。

インターネット,SNSの発展で,”知り合い””友達”になるきっかけは増えたと思う。そして子どもを授かってみると,子ども関係でご縁ができることも増える。

長く会っていなかったりやりとりしていなかったりすると,関係が途絶えてしまうこともあるけれど,何らかのご縁で出会った人やものが私という存在をつくってきて,それらはすべて自分にとって意味のあるものであったと思いたい。

ご縁って 素敵だ