出せない手紙

お久しぶりです。お元気ですか?って聞くのも変ですね。
そちらはどうですか? きっとそちらも新緑の季節なのでしょうね。

普段は貴女のことを忘れている時間もずいぶん増えたけれど,時々は貴女のことを思いだします。

いま思うと,貴女との別れは,私が今日という日まで(そしてたぶんこれからの日も)心理学という学問を続けてきて,大学教育に関わり続けるきっかけとなった気がするのです。

人は,自分がどれほど悲しいのかわからないほどに悲しいことがあっても生きていけるのはなぜか,悲しいことがあってもなぜ頑張らなければならないときがあるのか,貴女と別れてからずっと考えてきました。そして貴女と別れてから色々な人に出会い,普通の人が普通に生きているのがとても素晴らしいことだとわかりました。その素晴らしさの一端を掬い取りたいのと,先ほどの疑問を解明したいというその思いが,私が心理学の研究をやめられない動機になっているのです。

貴女との別れは,私にとって「自分がどれほど悲しいのかわからないほどに悲しいこと」でした。今も。

たぶんそちらからはいろいろなことが見えるだろうから貴女は知っていると思うけれど,私,まだ心理学の研究してるんですよ。臨床心理学の道には進んでいないし,臨床心理士の資格もないけれど,その間くらいのことをしています。んで,なんと私,母親になったんですよ。自分が結婚したのも信じられないけれど,母親になっているのはもっと信じられない。自分でも「あ,そういえば私はこの子の母親なのね」なんて思います。保育所の懇談とか参観とか行ってるんですよこの私が。信じられない。

貴女は結婚してたのかな。子ども,いてたのかな。今となってはわからないけれど。

まぁ,そういうわけで,私,なんとかかんとかやってるので,貴女のことは忘れちゃってる時間も増えたけど(ごめん,ごめんってば),貴女は私の原点だから,引き続きそちらから,見ててね。