ひとにやさしくするときに

人にやさしくするとき,人に思いやり行動をするとき,「優しい行動をする自分は偉い」「思いやりのある行動をする自分ってすごい」という気持ちがないかどうか,は,常に気をつけていたいと思う。

いるのだ,世の中には。「いいことをする自分」に酔いたくて,「素晴らしいことをする自分」を見せつけたくて(それが意識的であれ無意識的であれ)「いいこと」「素晴らしいこと」をする人が

基本的に私は,世の中の人はみんないい人だと思っている。いい面を見たいと思っている。そんなずるいことをする人がいるとは思わない…思わなかったけれど,もう少し人を疑うことを覚えた方がいいのかもしれない。それはとても悲しいことで,さびしいことで,こころが痛むことだ。

まともにブログを書いていなかったこと

ここ数日,まともにブログを書いていなかった。

理由は,なんでかわからないけれどばたばたとしていたこと。「透明なゆりかご」というドラマを再放送枠で録画して週1回ごろごろしながら見るのが8月の習慣になりつつあったが,第4回目以降を見ていない(現在第何回まで進んでいるのか)。新聞もまとめ読み。最近その日の新聞はその日に読めていたのだが。

そんなに急いでどこに行くという感じである。

もしかして,お盆が終わって日常モードに戻ったからかもしれない。高校野球も終わり,日中は相変わらずすさまじい暑さだが,朝晩はだいぶ涼しい空気に包まれるようになった。

高校野球が終わると夏の終わりを感じるね。今年は100回大会ということで,少し早くはじまった,のかな。とか言いながらあまり見なかったけれど。

母子で空耳アワー

私のプリンタはこれだが

www.epson.jpこれでプリントアウトすると,息子は「まーくん まーくん っておとがする」と言う。確かにそう聞こえる。

そういう母親の私は


Whitney Houston - I Will Always Love You

「Always love you」の手前の歌詞が「フェンダー ミラー」としか聞こえない

そのときの気分

別に最初から予定をかっちり決めなくても,そのときそのときで,臨機応変に,そのときの気分やコンディションでいろいろ決めればいいんじゃない? という人がいる。

その通りだと思う。私も予定でがちがちになるのは苦手な方で,ある程度ゆとりをもって,別にいいじゃん~やってもやらなくてもそのときで決めよう,何時何分に何しなきゃいけないって窮屈じゃないかと思う。たまには,「こうした方がいい」ということを破りたくなったり,ごろごろしたり,そういう時があってもいいと思う。

ただ,そのときの気分で決めて,それで人に迷惑をかけたり,困った事態になったり,人の心が傷ついたりする場合でも「そのときの気分」で決めていいんだろうか。

あなたが昨日,こうしておいてというからそうしておいたのに,今日の気分で予定変更~で,私が“そうした”ことが完全に無駄になって非常に悲しい気分である。

そういうときも「そのときの気分」を押し通していいのね。ふーん。

というわけで今私は,他人の「その時の気分」に振り回されてとても悲しい気持ちである。

あ,今日ブログ書いてない

あ,今日ブログ書いてない

夕立やらなんやらでばたばたしていた

1日1記事は書こうと思っていたが

ま,いいのだ。←いいのか?

夕立のときの雨の匂いが好き。猛暑は続いているけれど,季節は焼けるような夏から徐々に静かに晩夏に近づきつつあるね。

慌ただしいときなくしもの

慌ただしい日だった。

一番あせったのは,息子の医療セット(子ども医療証,保険証,お薬手帳,よく行く病院の診察券,母子手帳)がなくなったことで,確か土曜に夫が息子をCT検査に連れて行ったその足で遊びに出かけて,帰ってからどうしたっけ,というのを思い出せなくなって,いつも置いているところになかったから,冷や汗をかきながら探しまくって,もうだめ,もう嫌だと思いながらふと見たら,机と箱の隙間に落ちていた。

これから置き場所を考えなきゃいけないなと思った。あと,母子手帳はもはや予防接種のときしかいらないし,予防接種も,もう確かそんなに頻繁に受けないでいい年齢のはずなので,医療セットとは別に置いておこうと思った。あとMRの2回目かな…。